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「微笑みの国タイ」レポート

行程:広島→バンコク→カンチャナブリ→アユタヤ→シラチャ→パタヤ→シラチャ→バンコク→広島

0501バンコク
0502カンチャナブリ〜アユタヤ
0503アユタヤ〜シラチャ
0504パタヤ
0505バンコク
0506パタヤティファニーショー
0507パタヤ首長族
0508帰国

タイで大流行のSong(WonderGirls-Nobody)

2009年05月01日〜08日
 微笑みの国タイ「花」レポート>>>クリック
1日目・・・広島空港を出発です(10:20)
バンコクエアウェイズ エアバス319
定刻に出発です。
約5時間でバンコクに着きます。
下に見えているのは国道7号線
スワンナブーム国際空港です。
ワット・アルン(暁寺院)
アルンは暁の意味である。三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台ともなり、チャオプラヤ川の川沿いにたたずむ姿はバンコクを代表する風景にも数えられている
76メートルのプラーン「クメール風の塔」があります
ワット・アルンを見学した後・・・
カンチャナブリに移動します。
(カンチャナブリ一泊)
2日目・・・クワイ河鉄橋
映画「戦場に架ける橋」で一躍有名になりました。
クワイ河鉄橋は連合軍の捕虜や地元民を動員して、過酷な条件のもと、突貫工事で建設されました。
タイミングよく列車が通過します。

ムービーをご覧下さい(約1分27秒)
クワイ河鉄橋
列車が来ないときは歩いて橋を渡ることが出来ます。
駐車場にはトロピカルなバスが・・・・
(アユタヤへ移動)バンパイン宮殿
プラサート・トーン王(1629―1656)がチャオプラヤ川に浮かぶバンパイン島に僧院を建て、さらにその南に池と宮殿を建築しました。
バンパイン宮殿
現在は国王の住居およびレセプション会場として使用されています。
バンパイン宮殿
プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアト
ラーマIV世が1876年に建てたタイ建築。
バンパイン宮殿
プラ・ティナン・ウェーハート・チャルムーン
1889年築の中国風建物。内部は
公開されています。(撮影禁止)
ワット・チャイ・ワッタナーラーム(夕焼け寺院)
広大な緑の芝生に大小のプラーン(クメール風の仏塔)がそびえ立つ姿は、アユタヤで一番の壮観。
アユタヤ朝初期のクメール風建築の復活をめざしたプラサートトーン王によって1630年に建立された。
ワット・チャイ・ワッタナーラーム(夕焼け寺院)
アユタヤ滅亡時にビルマ軍の駐屯基地になり、その時首を切られた仏像が回廊にずらっと並ぶ姿は痛々しい。
 (アユタヤで一泊)
2日目・・・ワット・ナープラ・メール
1549年にはアユタヤに攻め入ったビルマのブレーンノーン王とチャクラパット王がここで停戦条約を取り結んだ。2度にわたるビルマ軍の侵入の際にもほとんど破壊されずにすんだ少ない寺院
ワット・ナープラ・メール
ワット・ローカヤ・スター
アユタヤー王宮の西側にあります。アユタヤーで
一番大きく涅槃像が安置しています。
ワット・ローカヤ・スター
建設は後期アユタヤ王朝中期で、当時は他の仏教施設もあったという。アユタヤ王朝陥落時(1767年)に大部分がビルマ軍の破壊に会い、現在は涅槃仏のみが残る
ワット・マハー・タート
この日はたくさんの観光客が来ていました。
ワット・マハー・タート
1374年ボロムラーチャー1世により建築が始められ、ラームスエン王の時代に完成しました。1767年にクメール様式の仏塔を含めビルマ軍によって破壊され、その際境内にあるほとんどの仏像の頭も切り取られており、現在もその姿が痛々しく残っています。
ビルマ軍によるアユタヤ陥落時に破壊された仏像の頭部が、木の成長とともに幹に包まれていったと考えられている
ワット・マハー・タート
ワット・マハタートに残る、レンガ積みの仏塔。
相当大きな仏塔が、ここにあったと思われる。
昼食は・・・タイラーメン
米粉の麺もあり結構食べやすかったですよ
アユタヤ国立博物館
アユタヤー遺跡地方で発掘した仏陀像や、骨董品など集めて展示しています。
@本館・A中部タイの伝統的家屋・Bタイ美術館の3箇所でセットになります。
ワット・ヤイ・チャイモンコン
1357年、初代ウートン王がスリランカ留学から戻った僧の為に立てた寺院、
1592年、20代ナレスワン王がビルマの皇太子との象上の一騎打ちで勝利し、その寺院に戦勝記念塔を建立したチャイモンコンは戦争勝った記念塔と言う意味です。
ワット・ヤイ・チャイモンコン
境内の中央には高さ72mの巨大チェディ(仏塔)。
ガソリンスタンドには必ず「トイレ」と「コンビニ」があります
片側4車線の高速道路 パナソニックの看板もデカイ!!
サービスエリアはまるで商店街・・・ シラチャの街に入ってきました。(シラチャで4泊)
4日目・・・・パタヤ
東南アジア諸国連合(ASEAN)の会議がデモ隊の抗議行動で中止になった、ロイヤルクリフビーチホテル
ワット カオ・プラ・バート
山の頂上がワット カオ・プラ・バートです。この頂上にはお寺だけではなくラジオ放送局もあります。ここには展望台があり、パタヤ市街、ジョムティエン・ビーチが一望で出来ます。
セントラル・パタヤ・フェスティバル
大型ショッピングセンターです。中には日本食のレストランがたくさんあります。各階案内にタイ語、英語、日本語表示の3つで案内しています。
5日目・・・・バンコク
民主記念の塔 
エメラルド寺院(ワット・プラケオ)
1782年、ラーマ1世はトンブリーの対岸にあるバンコクに遷都。タイ国の守護寺としてワット・プラケオを建立しました。ワット・アルンにあった小さなエメラルド色の本尊はこの仏教寺院の本堂に移され、現在も厚い信仰を受けています。
エメラルド寺院
王室専用の御堂で、中には歴代の国王像があるそうですが、見ることは出来ません。
大きな交差点にある信号には
残り時間のタイム表示がありました。
今日は国王戴冠記念日(ワン・チャッタモンコン)の5月5日。バンコク都内ラチャダムヌン通りは、祝賀のために集まった大勢の市民(推定30万人以上)で埋め尽くされた。(道路は大渋滞でした)
6日目・・・・
ニューハーフ・キャバレーショー「Tiffany(ティファニー)」
ショーは1日3回公演があり、ショー終了後には、スターとの記念撮影もできます。
ショーを見たあとは豪華夕食・・・・・?
大きなロブスター・・
&タイチャーハン・・
その他色々
パタヤ
ベトナム戦争に参加したアメリカ兵が休養に訪れるようになり、わずか2、3年の間に静かだった漁村は一変したそうです。
7日目・・・・パタヤ
王様在位50年を記念して山の斜面を削って造られた、高さ160m、総建設費7億円のブッタの彫刻。刻線には全て金が埋め込まれている
首長族の集落
実のところは、長い、というのではなく、首輪によって肩が下に押し付けられて、肩の方が下に落ちた形になってます。結果、首が長く見える、ということらしいです。
8日目・・・スワンナブーム国際空港 午前1時出発
ほぼ満員状態です。 宮島
機内検疫 やっと開放