広島本陣跡
爆心地 近くに広島本陣跡
(現在のデオデオや県民文化センター/鯉城会館/がある所。
原爆で語る人・名残りもなくなる)
承応三(1654)年の白神一丁目の辺り
(北―猿楽町/東―紙屋町/南―通り町/西―細工町)
町の特色は御客屋に設定されていたとある
両側に大小25の屋敷地
(西側10、東側9、南側6)に年寄り役は間口16間余の萬屋長右衛門
奈良屋勘右門・伊予屋加右衛門・鶴屋勝五郎・天王寺屋吉郎兵衛・萬屋長右衛門 
5軒がその役をつとめていた。
海老屋久左衛門宅は後に脇本陣となり彼らは藩の使節などを接待する
「客人役」を勤めていたのである。

西国街道ぶらり旅HP より 転載