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| 国道262号を北上します。 |
道の駅 萩往還
道の駅萩往還には、維新の志士10名の銅像があり、志士の経歴が紹介されています。また、無料の松陰記念館も併設されています。 |
左から山県有朋、木戸孝允、伊藤博文
山県有朋は、松下村塾門下生として尊攘思想を学び、のちに戊辰戦争に参加。大村益次郎の後を継ぎ兵制を整え、西南戦争では征討参軍となる。伊藤博文と共に明治政府の最高指導者となり、内務卿・枢密院議長・総理大臣等を歴任する。
木戸孝允は、西郷隆盛,大久保利通とともに明治維新三傑といわれる。吉田松陰に学び、討幕の志士として活躍した。明治維新後、五箇条の御誓文の起草、版籍奉還、廃藩置県などに尽力。
伊藤博文は、吉田松陰に学び、倒幕運動に参加。のち明治憲法立案に当たる。明治18年(1885)内閣制度を創設、初代総理大臣となった。枢密院・貴族院の初代議長を歴任。のち、立憲政友会を組織し、総裁に就任。 |
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右から野村和作、天野清三郎
野村和作は、第二次長州征討で活躍、明治維新後は岩倉使節団の一員として渡欧、第二次伊藤内閣で内務大臣に就任しました。晩年も富美宮・泰宮両内親王の養育掛長を務めました。
天野清三郎は、松下村塾には16歳の時に入りました。 塾に寝泊りして学び、松陰はその学識を高く評価していました。
のち長州藩の海軍所に入り、馬関戦争や奇兵隊創設にも参加しました。 明治維新後は長崎造船所の創設に貢献しました。 |
左から品川弥二郎、山田顕義
品川弥二郎は、吉田松陰の松下村塾に 入門、尊王攘夷運動に挺身する。外務省書記官・特命全権公使としてドイツに駐在し、 帰国後、宮中顧問官・枢密顧問官・松方内閣の内相等を歴任する。
山田顕義は、松下村塾に学び、禁門の変に参加した。第一次伊藤内閣の 司法相、黒田・第一次山県・第二次松方の各内閣でも司法相を歴任する。 |
左から高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞
高杉晋作は、松下村塾に学び、奇兵隊を組織した。四国艦隊下関砲撃事件には正使として和議を結び、のち藩論を討幕に統一、第二次長州征伐の幕府軍を破った。
吉田松陰は、幕末の勤王家・思想家・教育者。長州生。江戸に出て、安積艮斎、山鹿素水、佐久間象山らに学ぶ。安政元年下田の米艦に搭乗を計り失敗、投獄ののち生家に幽閉されるが、ここで松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋ら多くの門人を育てた。
久坂玄瑞は、吉田松陰に学び,松陰に愛されてその妹と結婚し,高杉晋作とともに松下村塾の逸材とみなされた。松陰の死後,尊王攘夷運動に丁身し,広く諸藩の志士たちとも交わった。長州藩の藩論が長井雅楽の『航海遠略策』による公武合体論に傾いたおり,文久2 (1862) 年春,脱藩上京して宮廷を動かし,藩論を尊攘論に統一するという働きもした。 |
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松陰記念館
中に松下村塾のリアル模型がありました。 |
桜が見頃です・・・ |
道の駅を後にして15分ほどで、萩博物館駐車場に到着しましました。 |
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| 桜の木にヤドリギがついています・・ |
菊屋横丁・・
菊屋横町には、藩の豪商・菊屋家をはじめ、幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地、第26代総理大臣・田中義一の誕生地があります。 |
夏ミカンが実っています・・ |
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| この横丁は日本の道100選に選定されています。 |
高杉晋作の生家 |
質素なたたずまいです・・ |
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産湯に使ったと伝えられる井戸 |
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高杉晋作略歴
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マンmンリョウ・・ |
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| 菊屋横丁を南に歩きます・・ |
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旧野田家住宅
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江戸屋横町を北向きに歩きます・ |
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青木周弼の旧宅
防長医学の発展に大きく貢献した日本屈指の蘭方医 |
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| ド根性ハナニラ・・ |
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佐伯丹下 家屋敷 |
非公開でした・ |
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木戸孝允旧宅
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1階12部屋、2階2部屋・・ |
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仏間・・ |
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萩城天守閣・・現在は石垣のみ残っています。 |
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江戸屋横町
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菊屋・・ |
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旧久保田家住宅・・ |
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| 呉服商・酒造業を営んでいた久保田家は、幕末から明治時代前期にかけて建築された町家 |
明日まで雛人形を展示しています・・ |
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雛人形は総数600体くらいあるとのことでした・・ |
梁が太い・・ |
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| 踏み臼・・江戸から明治にかけて使われていた精米の装置 |
屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高いのが特徴です |
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| 横町を後にして萩城跡に向かいます・・ |
城に近いところの敷地は驚くほど広いです・・ |
駐車場につきました。 |
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| 毛利輝元の像があります・・ |
桜が見頃です・・ |
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今回は時間が足りなく・・城内には入れませんでした・・ |
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 次回は時間を取り訪問したいと思います・・ |
防府から1時間ちょっとで訪問できそうなので行ってみました。前回は1998年に広島から車で訪れましたが記憶が確かでなく忘れていたことがほとんどでしたが菊屋横丁の景色だけは記憶にありました。
“明治維新胎動の地” であり歴史が息づくまち・萩は、屋根のない広い博物館(萩まちじゅう博物館)。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」や大地と人とのつながり「萩ジオパーク」など、歴史、文化、そして美しい自然とみどころがいっぱいです。
城下町は中下級武士・町人が住み、御成道には豪商が軒を連ねていました。町筋は碁盤目状に画され、なまこ壁の土蔵や土塀、志士の旧宅などが残っており、江戸時代の面影をよくとどめています、堀内は萩城三の丸にあたる上級武家地で、町筋に沿って長い土塀、石垣や長屋門が残っています。
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